関連資料

横浜の都市(まち)づくり略史

文責・中村寛三

1859 横浜港開港 開港都市の新構想
中央に波止場と官庁を配置し、左右に外国人街(居留地)と日本人町(商人地)、両者を貫くメインストリート・本町通りと 空間が構成される。
⇒1866年大火後、中央に防火帯としての日本大通り。
1888 港湾都市計画 港湾都市への発展
パーマーの築港計画
1909 工業都市への構想
工業都市への発展 港湾整備や京浜工業地帯の造成が進み、馬車道や元町、中華街など特色ある街も生まれ、繁栄する都市の姿を実現。
1923 関東大震災
95%の市街地が消失 震災復興、震災のがれきで山下公園建設
1945 横浜大空襲で62%が消失
米軍により都心部の大半が接収、1955年ころまで
1965 統合する都市構想 港湾都市、工業都市、住宅都市を統合する国際文化管理都市として「自立する都市」をめざす (飛鳥田市長、田村明企画調整室長)
高度経済成長と急激な都市膨張、爆発的人口増、交通問題、公害の発生等、劣悪な居住環境を改善すべく、市民参加 と自治体改革を提唱、理念としては「人間を中心に据える都市構想」への転換を目指す。 今日の横浜の骨格となる六大事業の提案(都心部強化、金沢地先埋め立て、港北ニュータウン建設、地下鉄建設、高速 道路建設、ベイブリッジ建設)
1971 企画調整室に都市デザインチーム創設(岩崎、国吉)
大通り公園から港までの「緑の軸線」と、山下公園からみなとみらい21へと続く「臨海公園」という「自由空地」(オープ ンスペース)の形成。くすのき広場、大通り公園、開港広場、都心プロムナード、馬車道・伊勢佐木モール、元町商店街 などと連携してストリート再生、ペア広場など公共的空間創出などの都市デザインの蓄積。80~90年代は、さらに山 手のまちづくりなど歴史を活かしたまちづくり、水辺・郊外・参加のまちづくり。
(これらは2022年3~4月の50周年「都市デザイン横浜展」として市民に公開、好評を博した)
2004 文化芸術創造都市構想 クリエイティブシティ・ヨコハマ(北沢猛)
2009 「都心臨海部・インナーハーバー整備構想」骨子案
2010 「次なる50年 横浜は海都へ─都心臨海部・インナーハーバー整備構想」提言書
成長社会から、非成長、人口減少、縮減社会へ向かう大きな社会の変容に対応した都市構想として提言された。都市 づくりの歴史的蓄積を活かし、「新しい市民社会と持続的な環境を創る人間都市を目指す。
(五つの基本理念)人間中心の都市、持続可能な環境、人材・知財を活かす社会、文化芸術創造都市、市民社会を実現 する強力な地方政府
2015 カジノのイメージ付きの「都心臨海部再生マスタープラン」策定(林市政2期目)
「山下ふ頭開発基本計画」策定
⇒これは、これまでの横浜の都市づくりの経験を否定し、歴史的に汚点を残すものとして、「横浜らしさ」を壊すものと して市民の強い批判を呼び起こした。
2019 林市長がIR(カジノ)誘致を表明、市民による直接請求の運動大きく
2021 市長選挙でカジノ反対を掲げる山中市長が誕生し、カジノ誘致は挫折
2022 「カジノ予定地であった山下ふ頭再開発に向けての市民意見等募集2回。
2023 横浜市会で「山下ふ頭再開発検討委員会設置条例」可決
「みんなの山下ふ頭に〇〇があったらイイナ」プロジェクト発足、市民による山下ふ頭のあり方についての議論が始まる