対談レポート

「みなとから考える横浜のまちづくり」

2023年8月27日、横浜市情報文化センターの6階ホールで中村桂子氏と吉見俊哉氏の対談を開催しました。

中村氏は「生き物としての物語を紡ぐ」というテーマで、4つの視点から「人間は生き物である」ということを再確認する必要性について話した。まず、それぞれの生き物はそれぞれに生きていて、素晴らしいという多様性を確認すること。それから、今地球上にいる何千万種類という生き物は全て祖先細胞から枝分かれしたもので、全ての生き物の根っこは一緒であるということ。そして、どんな生き物たちも約40億年という同じ時間の中で、それぞれに関わり合っているということ。最後に、多様な生き物の中にいる「人間」という内側からの視点で、様々な生き物の面白さを活かしつつ、私たちの人間らしさを活かすことが大切だと話した。

 

生き物が1つで存在していることはあり得ない。「私」は「私‘たち’」の中にしかいない。この考え方は、横浜や地域にもいえる。地域を考えるときには、長い時間、大きな空間、それらの中にいる多様な仲間たちとのつながりと共にいる「自分」が、たまたま横浜という場所にいるのだという物語を持つこと。そのような考えの中に横浜らしさを見出すことが出来るのでは、と話し、本プロジェクトに期待した。

 

一方、都市論を専門にしている吉見氏は、自身の横浜ボートシアターとの関わりから、水辺にある「横浜」の立地を歴史的に見渡して、話を展開した。

 

横浜は土地が広いが、実は明確な一貫性があるとして、「横浜は川の上にある」と説明した。横浜市には、青葉区まで遡る鶴見川、旭区までつながる帷子川、そして大岡川の3つの川がある。

 

1万年弱前、氷河期のおわり。縄文海進によって、海が広がり、今よりもずっと奥まで日本列島の湾に海が入ってきていた。湾になっている部分には、縄文人が住んでおり、縄文期の文化が栄えていた。横浜も、古鶴見川、古帷子川、古大岡川のところまで、3つの湾があった。

 

山下ふ頭の陸地になっているところも、かつては海だったため、中村川下流から大岡川河口までは、船で行き来していたそうだ。つまり、中村川と大岡川にはさまれたところに横浜の都心があり、横浜の街にはあらゆるところに水路が走っていた。この戦前までの横浜港の姿を踏まえて、「未来の横浜はどうあるべきか、つまり、川の上にある横浜はどうあるべきか」を考えるべきだと吉見氏は話す。まずは、ボートが浮かぶべき川を復活させ、我々が住んでいる都市や産業、生活を、川や海などの水辺から見直すという経験を日常的にするような都市をつくっていくべきなのではないか、と提案した。

 

対談の中で2人は、文化は「耕す」という概念が重要であり、循環する時間の中で、生き物の営みと共にあるものだ、という話で盛り上がった。文化を表す“culture“の語源には、元々「土地を耕す」という意味があった。これをいかにしてとらえるのか。

 

一人一人の生活や横浜の歴史に根差した街をつくる。対話と思いやりは人を育て、物語をはぐくみ、社会をつくる。真っ白なキャンバスの上に絵を描くのではない。あらゆる生き物の営みによる結晶である街は、日々、呼吸をしている。その息づかいを感じ、しなやかで、持続可能な街を創造していくことが今、求められているのだ。

 

中家未優 

神奈川大学国際日本学部4年

中村 桂子

 東大理学部化学科卒。同大学院生物化学科修了。理学博士。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究所長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。JT生命誌研究館副館長および館長を務めた。

吉見 俊哉

東京大学教養学部相関社会科学コース卒。専門は社会学・文化研究・文化社会学・メディア研究・都市論。2011年に文部科学省日本ユネスコ国内委員会委員、東京大学副学長に就任。2017年〜2018年、米国ハーバード大学客員教授に就任。